【東日本大震災追悼メッセージ】10年目の被災地に向かって

日本基督教団石巻栄光教会 川上直哉

マタイによる福音書11章28~30節

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである

 東松島市東名に「ラーメン楓」というお店があります。そこは、震災直後から展開しているキリスト教の支援センターです。主に子どもたちへの支援を、津波で完全に破壊された場所で手厚く行っていることで定評のある、とても大切な私たちの仲間の拠点です(ぜひ、インターネットで検索して、訪ねてください。ラーメンも、ものすごくおいしいです)。その支援活動を伝える通信を頂きました。2011年に小学生だったお一人お一人が、今、どんなに大きくなっているか、写真を並べて、通信は伝えてくれていました。

 この10年は、私たちを成長させたと思います。子どもたちだけではありません。私たち皆、本当に、鍛えられ、しなやかに強くなったと思います。「支援」とは何か、「行政・国家」とは何か。そして「人情」とは何か、「連帯・協働」とは何か。私たちは、本当に多くの事を、現場から学びました。

 仙台YMCAの使命の最初の言葉を思い出します。「主イエス・キリストによって示された愛と奉仕の生き方に学びつつ」とあります。被災地で、そして被災後の日常の中で、私たちは、その「学び」を積み重ねたと思います。西欧に「強イラレタ恵ミ」という諺があります。まさにそうしたものを、私たちはそれぞれ、神様から頂いたように思うのです。

 ドイツに「ヘンフルート兄弟団」という古い教団があります。そこは数百年前から、「くじびき」で一年間365日毎日の聖書の個所を取り出し、「ローズンゲン」という小冊子にして世界中に示しています。冒頭に掲げた聖書の言葉は、2020年3月11日の聖書の言葉とされていました。それは、イエスの言葉でした。今・ここ、「10年目」を迎えたこの東北で、この言葉が3月11日に読まれる不思議を思います。

 打ち捨てられ、あるいは置いて行かれ、そして世間の流れに弾き飛ばされた人々を、イエスは間近に見て「腸(はらわた)が千切れる」ような思いに駆られました。そしてその人々の中に飛び込み、その人々の痛みを共に担い、そしてそのために世間に嫌われ、呪われて殺された。それがイエスの「十字架物語」です。毎年、3月11日の頃、教会の暦では「レント(春)」と呼ばれる時を過ごします。それは、この十字架の物語を、全世界の教会で一緒に味わい確かめ直す時となります。

 私たちは、あの日以来、「腸が千切れるような」思いに駆られて、自分たちの力不足を顧みずに、現場に立ち続けました。ある人は疲れ、後方に退きました。そして、その跡を継ぐ人が現れました。そうして私たちは一つになり、一つの事を学んだ。それは、振り返って見れば、確かに「負いやすく」そして「魂に休みを与える」出来事だったと思います。現場に立ったあの時、あんなに巨大な事柄と思われたものが、今ではあんなに小さく見える。

 今、新しい感染症が駆り立て、私たちは不安に悩まされています。でも、私たちには「この被災地」で学んだことがたくさんある。それを今、活かしましょう。どうしたら、この不安の中でも幸せに立ちおおせるか。私たちはきっと、十分、その答えを知っているはずなのです。今、10年目の被災地に向かう私たちは、それを掘り起こし、持ち寄って、分かち合いましょう。YMCAの精神は、その時きっと、また新しい輝きを放つものと思うのです。